「ダメな子なんか一人もいない」
子どもに関わるすべての大人たちに伝えたい奇跡の教育!
戦後の日本で歌手、女優として活躍した宮城まり子は、なぜ「ねむの木学園」という家庭をもたず、身体機能に、知恵に障害をもつ子どもたちのための施設と学校をつくったのか――。
「肢体不自由児養護施設」という名称も法律も何もない時代、彼女は多くの人たちから受けた知恵と勇気に支えられながら、国を動かし、「ねむの木学園」を創設した。
宮城は、「ダメな子なんか一人もいない」といい、教育とは「生きていくお手伝い」という。素朴ともいえるこうした言葉は、彼女のこれまでの「戦仕度の日々」から生まれた厳しくもやさしさに満ちた、子どもたちの幸せを心から願う愛の言葉だった。
「ねむの木学園」は、単に特別支援教育という領域だけにとどまらず、「教育とは何か」という問いに、大きな示唆を与えてくれる。
人生のすべてを子どもたちに捧げた宮城まり子――初の本格評伝。