書き下ろし作品を含む珠玉の短編小説、11編を収録
火鉢をコンと叩いて、ねえそうでしょ、と呟やいてみるが、返事はない。
あなたは、いつ、どこから来た火鉢なの?──「旅する火鉢」
「……この先にけもの崖という、切り立った崖があります。
月の在るうち、そこを通り過ぎねば大変なことになりますよ」──「崖」
この場所からはもう出られない、とわたしも声にならない声を返した。この緑色の壺は罠なのだ。
罠に捕まってしまったのだ。出口はあの、ぽっかりと開いた丸い空だけ。──「夢の罠」
「栄耀栄華に慣れてしまうと、 差し迫った危機にも鈍感になる。どんな災害があっても
自分だけは生きのびるだろうと考えている」──「ポンペイアンレッド」
そのころ地球は、宇宙を支配するすばらしく大きな星だった。太陽よりも月よりも、
がっしりと安定して、朝は静かに広々と土や草を匂わせ、昼はカッカと白く燃え立ち、
夕方は昼の匂いを残しながら茜色の雲を広げて、夜の神々の出現を待っている。──「かぐや姫」
旅する火鉢
崖
夢の罠
散歩
ポンペイアンレッド
私が愛したトマト
蜜蜂とバッタ
蚕起食桑
タンパク
翔の魔法
かぐや姫(書き下ろし)
髙樹のぶ子(たかぎ・のぶこ)
1946年山口県生まれ。東京女子大学短期大学部卒業。84年「光抱く友よ」で芥川賞、94年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、95年『水脈』で女流文学賞、99年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨文部科学大臣賞、10年「トモスイ」で川端康成文学賞。芥川賞など多くの文学賞の選考に携わる。09年紫綬褒章受章。17年日本芸術院会員。18年文化功労者に選出。著作に『オライオン飛行』、『白滋海岸』、『格闘』、『ほとほと』、『明日香さんの霊異記』『小説伊勢物語 業平』など多数。